Shizuko's
Ceramic Class

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管理人の戯れ言

12.紅白歌合戦を見て。
今年の紅白歌合戦には長島茂雄監督が審査員に、白組の応援には息子の一茂が出演していた。
私は長島茂雄選手の大ファンである。勿論、ファンは私だけではなかった。 とんねるずが衣装で長島ファンをアピールし、中居正広が長島監督に媚を売っていた。
相変わらず長島茂雄には華があった。息子には鼻はあったが華はなかった。 (冗談)。しかし、この放蕩の息子は憎めない男であるだけでなく、好感が持てるのである。親譲りである。
実は、私の息子の名前も一茂で,よく長島の息子の名前から名付けたのかと言われたものである。名前を付ける時に、長島一茂の名前は一瞬たりとも浮かばなかった。何故なら、名前は自分の名と親父の名を、組み合わせた名前と決めていたからである。
親父の名は「一(はじめ)」私の名は「俊彦(としひこ)」(管理人が私の名前ではないのです。)なので、「一俊(かずとし)」にしたかったのです。「俊一(しゅんいち)」は叔母が自分の息子に使っていたので、「一俊」がよかったのです。ところが、字画が悪いと言う事で断念せざるを得なかったのです。
そこで考えたのが、親父の弟で一番仲がよかった「茂(しげる)叔父さん」の名前をとって「一茂」にしたと言うことだったのです。字画も抜群でした。仲が良いと言うよりも、長男である親父を慕っていたと言えるだろう。
叔父さんは結婚してからも仕事の帰りに我が家に立ち寄っては、親父と話をして帰ったものでした。
この「茂、叔父さん」は、我々が子供の時には、我が家のサンタクロースでもあった。
クリスマスには、必ずクリスマス・ケーキを買って来てくれた。クリスマスがさほど大きなイベントではなかった昔でも、我が家では楽しい日であった。 雪を踏みしめる足音が、玄関に近ずくたびに胸が躍ったものである。 イチゴのクリスマス・ケーキが毎年楽しみであった。そして正月にはお年玉を運んで来てくれたのです。
この「茂ちゃん」も長島茂雄の大のファンである。当時、小中学生の私は、「茂ちゃん」と親父がテレビ観戦をしながら長島選手の偉大さ、素晴らしさを語るのをよく耳にしたものでした。

今年の紅白歌合戦には二人の「茂」がいる。
我が家には一人の「茂」がいる。
しかし、もう一人の「茂」はいない。
叔父の[茂ちゃん」はクリスマス・イブの日、クリスマス・ケーキを買うこともなく、喉頭ガンで親父のいるあの世へ逝った。
大晦日の紅白歌合戦で長島茂雄を見ることもなく。

遠く彼方から「茂ちゃん」の声が聞こえてくる。
「兄貴、長島はいいーねーーー。」
「ここぞと言う時には、必ず打ってくれるね。」
「やっぱり、長島だね。ねー、兄貴。」

2001年1月6日


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