Shizuko's
Ceramic Class

[ホーム] [プロフィール] [ギャラリー1] [ギャラリー2] [ギャラリー3]
[展示] [CONTACT US] [やきものの工程] [陶芸教室] [リンク]

管理人の戯れ言

17.たった一枚の「管理人の日記」より。
昨日、ある書類を探していると偶然に一枚の便箋を見つけた。
”先生”が高血圧で倒れた日をメモしたものだった。
あの日から4ヶ月たらずですが、”先生”は随分元気になりました。本人はまだまだ病人のままでいたいみたいですが・・・・。
皆さんには本当にお世話になりました。 ありがとうございました。
ではここに、その日一日のドキュメントを紹介します。

10月24日2000年。晴れ
9:00am:
陶芸教室の準備。
9:30am
陶芸教室が始まる。オフィスで仕事開始。
10:00am
妻が陶芸教室から出て来て、立ち眩みを訴える。暫く休憩する。

10:30am
クラスに戻ると、今度はすぐに吐き気をもよおす。
再び退席して朝食をすべて吐き出すが、嘔吐感は止まらず。
目眩をおぼえる。抱きかかえベットに寝かす。

10:55am
生徒さんを気にする妻。
少し休ませてもらう事を告げに教室に出向く私。
クラスは生徒さんの自由制作にして戴く。
朝食が原因かと思い胃腸薬を飲む妻。
数分後、嘔吐。飲んだばかりの薬を吐き出す。
トイレまでの歩行難し。まっすぐ歩けず。
体温計で熱を計る。熱なし。
しばらくすると、頭痛も訴えはじめる。
水は飲んだほうが良いと思い飲ませるが、再び嘔吐。

11:10am
今日で教室2回目の生徒さんの心配をする妻。
今日中に成形してもらいたいと言う妻に代わって、私が粘土の量を計り3人の新人さんに手渡す。
どうしていいのか分からないと言う3人にベテランの生徒さんが手助けする。 ありがたい。
宜しく頼んで妻のもとに戻る。
トイレまで這って行こうとする妻を発見。
吐き気はするが何も出てこない。
嘔吐用の容器を用意していなかったことに気付く。

11:25am
苦渋の顔で頭痛を訴える妻の為に、頭痛薬を用意する。
頭痛薬を飲むが再び吐き出す。
水を受け付けなくなっているようだ。

12:00pm
昼食なし。食欲まったくなし。
教室に顔を出し、ふたたびお詫びをする。
「何とかできました」と言う生徒さんたちの言葉に安心する。

12:30pm
生徒さん全員帰宅。
今日は本当に申し訳ありませんでした。

1:15pm
病院に行くかどうか迷う。
その前に、Tさん(アメリカの母親的存在)に電話をするようにせがむ妻。
Tさんに簡単に状態を説明してから、妻に代わる。
暫く休んでも良くならなければ、病院に行った方が良いと言われる。
精神的、肉体的疲労からではないかと言う判断だった。
彼女と話して安心したのか、疲労困ぱいのためなのか、しばらく睡眠する。
これで直るといいのだが・・・。

2:35pm
目覚めて水を飲むも、用意しておいた容器にすぐに吐き出す。やっぱりだめだ。
家庭医学と言う本をチェック。 更年期障害、内耳の炎症、etc. 結局のところ何も出来ない。
無力な自分を恥じる。
そろそろ娘の下校の時間だ。

2:45pm
娘を学校からピック・アップして家に戻ると、Tさんが寝室で妻の足をマッサージしていた。
驚く。
まだ閉めていない教室用の通路のゲートから、家に入ることが出来たそうである。
「おかゆと味噌汁を作っていたので来るのが遅れてしまって・・・」と言って詫びるところがいかにもTさんらしかった。
あまりひどい時には、病院に行った方が良いと再び告げて、 1時間ぐらいで帰っていった。

3:00pm
学校から帰宅した息子、ゴルフの練習に出かける。子供たちには、大した事はないと伝えておいた。
4:00pm
頭痛、嘔吐を繰り返しながら疲れ果て、いつのまにか寝ていた。
安堵。
4:45pm
娘のジムナスティックの時間だ。妻に促され送ってくる。
5:45pm
娘のピックアップ。母を心配する娘。

6:05pm
息子、ゴルフの練習から帰宅。
6:15pm
妻、食欲まったくなし。
子供たちにロースト・チキンとフライド・ポテトをセーフウエイで買ってきて夕食にする。
自分も朝から何も食べてないことに気ずく。急にお腹がすく。 沢山あったので、Tさんから頂いたおかゆと味噌汁も食べる。

8:00pm
妻、この状態は普通じゃないと訴える。
何で私はもたもたしているんだ。
過去に何度かERに行ったことはあるが、たいしたことはしてくれなかった。
でも手後れになったらどうする?

9:00pm
顔色依然悪し。
妻、ようやく食欲がでる。
Tさんのおかゆを食べる。一時の喜び。
しかし、しばらくして吐く。
もうこれが限界だ!
日中に行くべきだった。
ER行きを考える。否、ER行きを決断する。
Marin General Hospital か Novato Community Hospital の選択。
ノバトに決める。
経験からノバトはあまり混んでいないと判断。
良いことに妻の友人がノバトERの看護婦をしていると知らされる。

9:35pm
TさんにER行きを告げると、Tさんから連絡を受けたKちゃんの母親Yさんから電話がきた。明日の勤務予定だが、今日出勤して くれると連絡あり。
これで待ち合い室で待つ必要がないかもしれない。
着替えをする妻。

9:50pm
熱なし。
目眩あり。頭がぐるぐる回っているとのこと。
歩行不可。
頭痛がひどくなる。妻の状態依然悪し。

10:19pm
息子と二人で妻を車に乗せる準備をする。車の座席をセットする間に、息子、一人で妻を両手で抱きかかえ車に乗せる。
息子の腕力に驚き、自分の非力を嘆く。
娘を16才の息子に頼み、家を出発。
心配そうに見送る二人。
妻、後部座席で横になりながら頭痛を訴え続ける。
ハイウェイ101を北へ。
交通量は少なし。75マイルで疾走する。
パトロール・カーに注意する。
Downtown Novatoを出て西へとばす。
一般道路へ入るとすれ違う車も少ない。
街灯がアスファルトの道路を冷たく照らす。
Novato Blvd.をぬけると車も人もいない。
一匹の野良猫が疾走する私の車を見て立ち止まった。
バック・ミラー越しに野良猫が道を横切るのが見えた。
ラジオからコルトレーンのサックスが啜り泣きのように聞こえてくる。
妻もうめき苦しんでいる。
「もうすぐ」
「もうすぐ病院だから・・・頑張れ!」と励ます。
「うー・・・う・・・」と唸る妻。
突き当たりの角を右折すると左手に病院がある。
病院が見えてきた。 車を緊急用の入り口に止める。

10:35pm
ER着。偶然ドクターと遭遇。 歩けない妻のために車椅子を依頼。看護婦のKちゃんが車椅子を持って来る。
ERで知り合いがいるのは、何とも心強い。
Kちゃんが妻を病室へ。私は受け付けへ。 待合室には若いカップルの二人だけだった。彼らが患者かどうかしるすべもなかった。
受け付けで簡単なインフォメーションを聞かれる。実に早い。
事務所の中では二人の事務員がテレビを見ていた。
待合室で10分ぐらい待つと、病室に入るように言われる。
勿論、ERなのでカーテンで仕切られたベットが5、6個ある部屋である。

10:55pm
妻は目を閉じたまま、点滴を受け横になっていた。寝てはいないが眠そうである。
血圧を計る機械を覗く。
血圧が異常に高い。260/140
血圧を低くする薬と目眩を抑える薬を、飲むと吐いてしまう為、腕から注入する。
今日当直の看護婦がてきぱき動く。Kちゃん、妻に寄り添ってくれる。

11:15pm
血圧245/125
11:30pm
血圧220/105
11:46pm
血圧204/87

10月25日2000年。晴れ
0:05am
血圧197/81
少しずつは下がるが、まだ高すぎる。
時折、目をあけ血圧計を覗く妻。

0:25am
血圧189/79
ここまで下がるが、まだまだ血圧が高い。
正常な血圧は139/69以下。
160から異常な高血圧との事。
暖かい病室と疲れからか、 睡魔が襲ってきた。Kちゃんは病室のはずれにあるデスクで書き物をしていた。妻は浅い眠りに入っている。 私は、椅子に座り妻の左手に右手をのせて、頭をベットにもたれ目を閉じる。何度も眠りそうになるが堪えた。

1:15am
189から下がらず。 ドクターより帰宅の示唆を受ける。
内耳の炎症からくる目眩と診断されるが、詳しいことは今後の診察が必要とのこと。

1:40am
アポの指示を受け、病院を出る。
Kちゃんが、来たときと同じように車椅子で送ってくれる。 今日、一旦家に戻り、朝7時出勤とのこと。ご苦労様です。感謝でいっぱい。ありがとうございました。
薬が効いている為、痛みなし。 顔色は依然悪い。
時計を見て、もっと早く決断すべきだったと再び悔やむ。

2:00am
帰宅。
まだ目眩でフラフラする妻を何とかベットまで運ぶ。
子供たちの部屋の電気は消えていたので起こさないように静かに入った。
妻、憔悴、そして、就眠。
疲れきった妻が寝入ったことを確認して消灯する。
その時、わざと咳き込む息子の声を聞いた。
「息子は起きて待っていたかもしれない・・・。」と思った。母親を心配して・・・。
私はどうして妻のことも子供のことも分からないんだ。
昨日、正確にはおとといになるが、息子とゴルフをした。日曜日にトーナメントにでたばかりで、二日連続のゴルフになってしまった。
息子から言い出したので、内心嬉しかった。最近二人でプレイすることがなかったので、妻に聞いてみたら、「どうぞ、どうぞ」と言ってくれたのである。
しかし、眉間にできた三角の深いしわを私は見過ごさなかった。
私は勘違いをした。二日連続でゴルフすることに腹をたてたと思ったのである。
私は妻の体の異変にきずかずにゴルフをしてしまったのである。倒れる前日に兆候があったのに・・・。
私はあの時の妻の顔を一生忘れないだろう。もうゴルフは出来ないかもしれないと思った。
そして、今度は息子の気持ちも分からず、何故、「もう大丈夫だよ」と一言声をかけてあげなかったのか悔やまれた。

いまからでも遅くないぞと自分に問いかけたが、再び睡魔に襲われた私の肉体は、深い眠りに落ち込んでいった。

2001年2月10日


Copyright (C) 2000-2001,Ceramicstyle