Shizuko's Ceramic Class

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管理人の戯れ言

46.馬に蹴られて龍は行く。

私は"先生”に新聞を手渡した。
前回の稿で紹介した「揺れ動く{国旗}」を掲載してある北米毎日新聞である。

「島和彦」?
「ええ!」
「昔、同じ名前の歌手がいて{志津子}という曲を歌っていたの知ってる?」
「知らなかった。」と言うと、「島和彦?いやーねー。」と”志津子先生”は大きな ため息をした。
「本名ではダメだったの?」
「いや、そんなことはないと思うけど・・・・」
「ただ"分身"だからペンネームでもいいんじゃないかな・・・」 といって自分の部屋に入った。

あれは2ヶ月近い前のことである。
その日偶然、新聞の新春エッセイ・コンテストの記事を見た”先生”は怒った表情で言った。
「毎日毎日、”おもちゃ”で遊んでないで仕事でも少しはしたらどうなの?」
最近買った、ラップトップのコンピューター、カラー・プリンター、日曜大工用に2種類の 電気のこぎり、子供に貰ったデジタル・カメラ等に毎日夢中になっていると思われてい るのである。(それは事実かもしれない。)
「髪結いの亭主」ならぬ「陶芸教室の管理人」で余生を暮らしていこう思ったが、全く 予想はずれであった。
仕事もしない、収入も少ない”管理人”は怒りの対象でしかないのだろう。
”先生”のご立腹は的を得ていたのである。
「くだらない事ばかり書いていないで、ちょっとこのコンテストに応募しなさい。」
「大変だったら、今まで書いた中から選んで送ればいいのよ。」と滅茶苦茶なことを言われたが 私は反論することもなく、「ハイ、分かりました。」と2つ 返事でオーケーしてしまったのである。
勿論、未発表に限るので改めて書いたのは言うまでもない。

どんなコンテストにも応募することなど、一度もなかった私が、 いとも簡単にこのような貴重な経験が出来たのは、ひとえに”先生”の暖かい”馬蹴り” があったからに他ならないのです。
「年女の”先生”、感謝しております。」

ところで、私が題材にした写真が話題になっている。
これをもとに記念碑を作るという案である。
ところが白人と思われる3人の消防隊員の人種を白人、黒人、スパ二ッシュの3人に 振り分けるべきという意見が出て喧々諤々というのである。
アメリカらしい発想である。

私はほとんどの人がエッセーの題材として、9月11日の同時多発テロ事件を扱うのは 明らかだったが、この事件から逃避することは出来ないと思った。
そして一冊の雑誌を見ているうちにあの写真「A Banner Yet Waves」と出会い、エッセーが完成したわけである。
大勢の人々があの同じ写真をみながら、何らかの感動を得ていたという満足感がこみ上げてくる。

そこへホールウエイにひずめが鳴り響いた。
「ちょっと、”おもちゃ”いい加減にしてよね。」
「テトリス、テトリス、私の息抜きの時間よ。」
「”おもちゃ”・・・。いい加減にして、早く来なさい。」
「ヒヒーン」

結局、”先生”からエッセーについての感想は一言もなかった。

1月24日2002年


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