随分以前のことであるが、OBサミットがサン・フランシスコで開催された。
先進国の元首相や元大統領のサミットである。
その時の日本代表が福田赳夫元総理であった。
二期目の総裁選で大平正芳蔵相に敗れた、数年後のことである。
当時キーマンの田中角栄元総理が大平正芳を支持したことが敗因であった。
大福角の均衡が壊れ、熾烈な「角福戦争」と云われた抗争に破れたあとのことである。
福田元総理が忙しい合間を抜けて、当時私が勤務していたブティックに立ち寄った時のことである。
「昭和の水戸黄門」と云われた元総理は、気さくで物腰の柔らかい人であった。
お土産のネクタイを選別している私の前では、日本から来た社長と元総理がソファーに深々と
かけて談笑している。
ダンボの耳のように大きくなった私の耳には、何度も「あべちゃん」の名前が聞こえてくる。
安倍晋太郎外相のことである。姻戚関係にあった元総理にとっては安倍外相に次期総理に就いて
欲しかったに違いない。勿論、病死によって適わなかったのであるが・・・。
その「あべちゃん」から電話が入った。応接室から戻ってきた元総理は上機嫌だった。
会話の内容はわからないが、日本から電話をかけてくれたのが単に嬉しかったのかもしれない。
その翌日の夕食会で、もう一度福田元総理に会うことが出来た。
しかし、今回は一瞬のことだった。
ビバリーヒルズから来た上司に「総理と社長」に挨拶するようにと云われた時である。
「夕食を頂きます」と云う一言の為だったのである。
上座との距離は6メートルはあったように思われた。
それはあたかも殿様に挨拶する家臣のようであった。
ところで、私たちの夕食場所は隣の小部屋であった。
社長秘書や他の社員と一緒に私の家族も同席を許された。
社長”夫人”に招待されて、リムジンで市内観光をしてきた”先生”が満面の笑みを浮かべて
待っていた。
カリフォルニア通りにあった、この老舗の「大和」レストランは、今はない。
最近、テレビで福田官房長官の顔を毎日のように見ているのだが、時折、安倍副官房長官の姿を
見ることが出来る。
田中真紀子元外相の官邸批判をうけて、反論する二人には親子二代にわたる
因縁を感じざるを得ない。
金権政治や官僚政治を批判し清廉潔白を訴える娘と非情なほどクールな息子たちは、
親からの怨念を断ち切れないでいるのだろうか?
それにしても「昭和の水戸黄門」の好々爺とした笑顔が懐かしい。