Shizuko's Ceramic Class

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管理人の戯れ言

52.有名人の話 15(福田赳夫総理)

随分以前のことであるが、OBサミットがサン・フランシスコで開催された。
先進国の元首相や元大統領のサミットである。 その時の日本代表が福田赳夫元総理であった。

二期目の総裁選で大平正芳蔵相に敗れた、数年後のことである。
当時キーマンの田中角栄元総理が大平正芳を支持したことが敗因であった。
大福角の均衡が壊れ、熾烈な「角福戦争」と云われた抗争に破れたあとのことである。

福田元総理が忙しい合間を抜けて、当時私が勤務していたブティックに立ち寄った時のことである。
「昭和の水戸黄門」と云われた元総理は、気さくで物腰の柔らかい人であった。
お土産のネクタイを選別している私の前では、日本から来た社長と元総理がソファーに深々と かけて談笑している。
ダンボの耳のように大きくなった私の耳には、何度も「あべちゃん」の名前が聞こえてくる。
安倍晋太郎外相のことである。姻戚関係にあった元総理にとっては安倍外相に次期総理に就いて 欲しかったに違いない。勿論、病死によって適わなかったのであるが・・・。
その「あべちゃん」から電話が入った。応接室から戻ってきた元総理は上機嫌だった。
会話の内容はわからないが、日本から電話をかけてくれたのが単に嬉しかったのかもしれない。

その翌日の夕食会で、もう一度福田元総理に会うことが出来た。
しかし、今回は一瞬のことだった。
ビバリーヒルズから来た上司に「総理と社長」に挨拶するようにと云われた時である。
「夕食を頂きます」と云う一言の為だったのである。 上座との距離は6メートルはあったように思われた。 それはあたかも殿様に挨拶する家臣のようであった。
ところで、私たちの夕食場所は隣の小部屋であった。 社長秘書や他の社員と一緒に私の家族も同席を許された。 社長”夫人”に招待されて、リムジンで市内観光をしてきた”先生”が満面の笑みを浮かべて 待っていた。
カリフォルニア通りにあった、この老舗の「大和」レストランは、今はない。

最近、テレビで福田官房長官の顔を毎日のように見ているのだが、時折、安倍副官房長官の姿を 見ることが出来る。
田中真紀子元外相の官邸批判をうけて、反論する二人には親子二代にわたる 因縁を感じざるを得ない。
金権政治や官僚政治を批判し清廉潔白を訴える娘と非情なほどクールな息子たちは、 親からの怨念を断ち切れないでいるのだろうか?

それにしても「昭和の水戸黄門」の好々爺とした笑顔が懐かしい。

5月5日2002年


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