Shizuko's Ceramic Class

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管理人の戯れ言

56.有名人の話16(トム・ワトソン)

久しぶりにゴルフのテレビ観戦に興奮した。と言っても録画したビデオを観たのだが。
先週の6月30日は米シニアゴルフのメジャー大会の全米シニアオープン最終日だった。
メリーランド州のケーブス・バレーGCで行われたこの大会には、日本の青木功が出ていた。
初日、二日目と好調で上位にいたので、もしかしたら優勝するかもしれないと思い録画したのだが、最終的には2オーバーの18位タイで終わった。
青木が圏外であることが分かったので、14番ホールまでビデオをとばした。
トップには余り知名度のないダン・プーリー。二位にはトム・カイト。4打差の三位にトム・ワトソンがつけていた。
私はこの時点で、緊張気味のプーリーは逃げ切れないと思い逆転劇を予感した。
トム・カイトは失速していったが、ワトソンは攻めのゴルフと抜群のパットでバーディーの連続。
いつもパッティングに苦しんでいるワトソンだが、その日は違っていた。
いつの間にか、守りに入っているプーリーに18番で並んだのである。
3ホールのプレーオフも引き分けとなる好ゲームであった。
追い上げたトム・ワトソンが緊張でパットが中々打てないプーリーに勝つかと思ったが、サドンデスに入った2ホール目に決着がついた。
震える手で打ったプーリーのバーディーパットが決まったのである。
そこには、シニア・ゴルフの初優勝がメジャーとなったプーリーを称えるワトソンの清清しさと偉大さがあった。
ジャック・二クラウスや他の名プレイヤーと数々の名勝負を残しているが、勝っても負けても昔と変わらぬワトソンがいた。

私はこのワトソンに一度だけ会った事がある。
日本から来た友人をサン・フランシスコ空港で見送った時である。
多少時間があったので、JALのサクラ・ラウンジに入るとトム・ワトソンがいたのである。
当時、毎年のように宮崎で開催されるダンロップ・フェニックス・ゴルフ・トーナメントに招待されていた。
アメリカ人の客との立ち話が終わると、我々は一目散にワトソンに歩み寄り話しかけた。
この事は、私にとっては快挙であった。何故なら、自らプライベートで有名人に声をかけたのは、初めてだったからである。
そして、何よりも躊躇することもなく、新帝王と云われたトム・ワトソンに話しかけたのだから、我ながら驚いた。
短い会話の中でワトソンは、毎年参加するこのトーナメントの良さだけではなく、宮崎の人や日本人の素晴らしさを称えることを忘れることはなかった。
何事にも真摯に答える氏の姿は、テレビで見る知的な氏と全く同じであった。
私は、テレビで見る彼を「虚像」ではなく「実像」として見ていたから、気軽に声をかけられたことを知っていた。
面白い話もなければ、劇的な出会いでもないこの邂逅は、写真を撮ることもなかったが、忘れがたい良い思い出になったのである。

最近はシニア・ゴルフで頑張っているようだが、昔のような抜群の強さはないようである。
是非、また今回のような熾烈な戦いを見せてほしいものである。

7月11日2002年


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