サン・ディエゴは思っていたより良い街だった。
軍港というイメージばかり先行していたのかもしれない。
ダウンタウンには、近代建築の先端を行くビルディングが立ち並んでいた。
郊外のラ・ホーヤのダウンタウンやビーチは寛ぎを与えてくれた。
シー・ワールドの動物たちは、おおらかな安らぎをくれた。
「マナティー」はなにより美しかった。
船底やボートのエンジンで傷ついた大きな体を、気持ちよさそうに回転しながら泳ぐ姿は、海の天使と呼んでいいだろう。
鯨やアザラシなどの動物ショーは今まで見たものより、はるかに上であった。
モーテルやホテルで、連日深夜までトランプをしていたせいか、ロス・アンゼルスに戻ったバケーション最後の日も”先生”は元気がなかった。
子供たちに何もかにも圧倒されていた。
最後の日の午前中は、息子が大学で使う教材を買うことにしていた。
ラ・ブレア通りで買い物を済ませた我々は、フリーウエイを使わずウィルシャー通りに入った。
ビバリー・ヒルズを背に東に向かった。ダウンタウンを南に下がりフリーウエイの高架橋を渡ると息子が入学した学校がある。
だが、ここは地獄の一丁目のような所である。
6月の下旬、息子と二人で大学のオリエンテーションに参加した。
オリエンテーションは朝早くから始まるので、学校に近い安いモーテルを予約した。
昼過ぎに出発して夕方にはロスに着いたので、モーテルに着く前に、9ホールだけゴルフをすることに決めていた。
実はロスの帰途にゴルフをする予定でいたので、クラブ持参で来たのである。
私はモーテルとその界隈に驚いた。
そこはまさしく我々が住んでいる所とは、別の世界だったのである。
大学の南に位置するこの一帯は、荒涼とした廃墟の街だった。
躊躇しながらも鉄条越しに現金のみの部屋代を払い、急いでここから一番近いゴルフ場に向かった。
キャンセルして他のモーテルを探すべきだったが、日没まで時間がなかったので、ゴルフを選んでしまったのである。
再び我々を驚かした。ゴルフ場に隣接する公園の入り口に、警察の車が5台ぐらい乱雑に駐車していた。小競り合いの仲裁なのかわからなかったが騒然としていた。
ロス市内のゴルフ場で数回プレイしているが、知人の誰もがこのゴルフ場を選ばなかった理由はその時分かった。ここも余り良い地域ではなかったのである。
翌日、息子は大学のドーム(寮)に1泊することになっていたので、私は宿泊を大学から遠い、北の安全地帯に変えて一人で泊まった。
大学はコンベンション・センターやレイカーズが使うステイプル・センターのダウンタウンから近いのだが、大学の周りの様子は、全く異種の態をなしていた。
巨大な敷地には多くの門があり、新入生が続々と集まって来ていた。
我々は正面玄関から入った。
ドームに荷物を運び、ルームメイトを紹介された。朝に入寮したという彼の壁には、整然と写真やポスターが飾られていた。
がっしりとした体型と整然と並べられた壁の不似合いに笑みがこぼれ、息子がルームメイトと上手くやっていけそうな気がした。
3時過ぎにようやく、構内にあるレストランでランチをとった。
シーザス・サラダとピッツァが別れの食事になった。
ここでも”先生”は話が弾まない。
私は心配になってきた。否、ずっと心配していたのである。
息子と別れるとき、倒れてしまうのではないかと。
殆んどの子供がそうである様に、一度大学に入ったら一緒に家族と暮らすことはない。
最初の一年目は、「Thanksgiving」「X'mas」などの祝日、あるいは夏休みに帰宅するが、それも段々と遠ざかってくるのである。私がそうであったように。
”先生”が今どんな気持ちでいるのか思い悩んでいると、別れの時が迫ってきた。
「ウエルカム・パーティー」に参加する息子と、今日車で家に帰らなければならない我々の間に時間が迫って来ていたのである。
我々は、レストランを出て記念写真を撮りながら、大学の中央にたどり着いた。
公園のように広い中央に立ち止まり、別れの挨拶をした。
”先生”を待っていると泣き崩れるのではないかと思い、私から息子に軽く抱擁した。
”先生”も子供たちも同じように抱擁した。
意外にも”先生”は気丈だった。寂しさも悲しさも心の中に封じ込めていた。
私は最後に硬く握手をして別れた。
何度か我々は後ろを振り返ったが、息子は一度も振り返えることはなかった。
私は一人で運転して、家に帰った。
”先生”は意外にも何度も何度も運転を代わると言い出した。
いつも息子が私の様子を見て、聞いてくるのだが今息子はいない。
疲れたせいか”先生”は助手席で寝ているのだが、時折目を覚ましては、寝言のように「運転代わる?」と云うのである。
6月のオリエンテーションの帰途、ロスのダウンタウンから暫くの間、私は息子に運転を頼んだ。
2日間のオリエンテーションで疲れたのか、睡魔が襲っていたからである。
今日は緊張のせいかさほど疲れはなかった。西日も次第に弱くなっていた。
ようやくロスからの山道を降りて平坦なフリーウエイ(I5)に入った。この山道を下りるとロスから離れたという実感が沸いてくる。
手紙のことを思い出した。ドームに入る前に、こっそりとバックパックのサイドポケットに息子宛の手紙を入れていた。
別れの言葉を上手く言えないと思った私は、手紙にしたためていたのである。
しかし、最後まで手紙のことを言わないまま別れてしまった。
忙しい息子が「贈る言葉」と書いた封書に、いつごろ気付いてくれるのかと思い浮かべていると、いつしか太陽が遠くの山並みに消えていた。
左前方の西日を受けて走っていたのだが、サングラスをはずして平地の向こうに見える夕日を眺めた。
もう眩しくはなかったが、体中が熱くなってきた。
後ろの上の娘が目を覚ました。
娘が「大丈夫?」と言うと、その声で”先生”も目を覚まし、虚ろげに「運転代わる?」と聞いてきた。
私は慌てて、再びサングラスをかけ直した。
黄昏どきの橙色の夕焼けは、我々の夏の終わりを告げていた。
Admission fee(Sea World)with discount:$193.00
Dinner:$75.07
Cotton candy:$4.00
Thinking of family:Priceless
There are something money can't buy.