日野原重明
日本では、この人の本が売れている。
日野原重明氏は聖路加病院の病院長である。
数冊ある本をいずれも読んでいないので、本については言及できないが、年老いてなお、より良い人生を歩もうという精神を奨励している。
不思議にも若い人達も、氏の考え方に共感を呼んでいるらしい。
社会の老齢化が進む中で、老いてからまた人生はスタート出来るのだ、とする氏は60歳や70歳を年寄りとは考えていない。
80歳でも90歳でも新しいことに挑戦すべきであるし、死の病に伏していても、最後まで人間らしい生き方をすべきと説いている。
数年前に、私は日野原氏のドキュメンタリーのビデオを見て驚いた。
それは、死を目前とした女性患者に接する氏の真摯な態度が、信心家でもない私に、神のごとく見えたからである。
死に至るまで、充実した生活をさせよう。満足させて死期を迎えさせてあげよう、という日野原氏の生き方に感動したのである。
氏は、医学だけが人を治療するのではないことを良く知っていた。心のケアーを忘れてはいなかったのである。
私を驚かしたのはもっと他にあった。
ビデオを見始めるなり、氏と会ったことを思い出したからである。
90年代初頭、私は脱サラをして、サン・フランシスコで小さな雑貨店を経営していた。
学会に出席するので来たという氏が、その店にお土産を買いに来てくれたのである。
氏はその翌日も現れ、いろいろと話をして、何故か名刺を置いて行った。
小柄な気さくな方で、息子か娘かは忘れたが、このベイエリアに住んでいるので、会ってくるとも言っていた。
本当はこのとき会った先生が日野原重明氏であるとは断言出来ない。
ドキュメンタリーを見たときに、慌てて名刺箱を探したのだが氏の名刺は見つからなかったのである。
私は、当時も名刺に書かれた聞きなれない病院名に注目していた。
私はその病院は知らなかった。このクリスチャン系の病院名は、私にとって始めて聞いたのだった。
兎に角、その名刺さえ出てくれば確認できるのだが・・・という思いと、
そのときすでに有名人であれば、曖昧な記憶ではなく、確信できたはずだが残念だった。
ところで、サリン事件のときには、大勢の人々がこの聖路加病院に担ぎ込まれていた。
そして、精力的に陣頭指揮をしていたのも、この日野原重明氏であった。
氏は何年も前から、有名人だったかもしれないし、生まれながらにして”聖人”なのかもしれない。
私は日野原重明氏のような“聖人”に、もしかしたら会ったかも知れないと思うだけで満足だったのである。
そして何より、こんな人がすさんだこの世に存在していることを知っただけでも、私は暖かい気持ちになり幸せだった。
「何かしなきゃだめですよ」
「10代でも、30代でも、50代でも、70代でも、90代でもやらなくちゃ」