2週間前の9月10日のことであるが、私は久しぶりに”先生”に激怒した。
この日は陶芸教室が終わったあとに、上の娘と”先生”と三人でショッピングに出かけることになっていた。
娘が買いたいものがあるためで、私たちに付き合って欲しいということだった。
私は下の娘の学校の迎えがあるので、二人で行ってもらいたかったのだが、三人で行きたいという娘の言葉に嬉しさも手伝って抵抗は出来なかった。そして、乗り気ではなかったのだが、下の娘にはバスで帰ってもらうことにしたのである。
最近、上の娘から食事や映画の誘いを受けるのが多くなった。娘は、弟がロス・アンジェルスの学校に行くことに決まってから、度々一緒に出かけていたのだが、息子が家にいなくなってからは、私たちに誘いが多くなった。
事件は教室が終わると直ぐに起こった。”先生”は私が昼食を作っていなかったので、不機嫌な顔をしたのである。私はこれから3人で食事をしてショッピングと思っていたので、納得できなかったが空腹がそんな態度にしていると思い我慢した。
”先生”はその日朝食を取っていなかったのである。
すると、”先生”は冷蔵庫をあさりながら、
「午前中、何処に行っていたの?」
と不満気に言った。
私はメモ書きをのこしていたので、分かっているはずと思いながらも説明した。
調べることがあったので、市庁舎と図書館に行っていたのである。
それでも”先生”は納得したとは思えなかった。
靴を履いて外に出かける瞬間だった。
”先生”の
「サンドイッチぐらい作れなかったの?」
の一言で、私の堪忍袋が遂に爆発した。
{これから食事に行くのに、}
{大切なことを調べにいったのに、}
という思いがあり、一層怒りを大きくした。
「遊びで出ていたわけじゃない」
「外で食事をしたくなかったら、はっきり言いなさい」
「家で食べてから行きたかったら、前もって言ってくれ」
玄関のドアを開けて車に向かう間も車に乗ってからも私の怒りは止まらなかった。
「娘は食べていないのに、どうして自分たちだけ先に食べるのか」
挙句の果てに、
「お金もないのにショッピングに行く必要ない」
とまで言ってしまった。
もともと付き合いで行く予定だったので、我々にはショッピングは関係がなかったのだが・・・
私の心中には、行きたくもなかったのにと云う気持ちがあった為、自分たちと娘の両方にかけた言葉になった。
娘を迎えに行く車の中では、唸り声を上げては”先生”を困らせた。
「もう、いい加減にしてよ」
遂に”先生”を困らせたのである。
”先生”は頭痛を訴え始めた。
そして、謝った。
「ワタシガワルウゴザイマシタ」
と。
やっと勝利を勝ち得たとき、私の頭も割れんばかりの痛みが襲ってきた。
たまには爆発した方が良いなどと、本に書いてあったがそれは間違いであることに気づいた。
心身ともに良くなかった。
我々は娘と会ってからは、今まで何もなかったかのように振舞った。
娘が食べたいというタイ料理を食べ終わるごろには、頭痛も次第に飛んでいった。
”先生”にも笑顔が戻ったのである。
翌日は9月11日。
あの忌まわしいテロ事件から一年目で、特別番組が各テレビ局で放映されていた。
私はトラウマに悩まされながらも懸命に生きている未亡人やその子供たちの姿を追った特別番組を、一人で見入っていた。
”先生”はあまり興味がなく、借りてきたビデオを自分の部屋で見ていたのである。
そこに自分の部屋から出てきた下の娘が、私の傍に座り学校のことや音楽について話し出した。
私はそのテレビに感動していたので、いつもは聞いている娘の止めどもない話を遮った。
「いい加減にしてくれ」
「こんなに苦労している人がいるんだ」
私は声を荒げたとたん、自分の非に気づいたが遅かった。
娘はまた部屋に入っていった。
居間には猫のミスティーだけが残った。
ミスティーは、昨日買ったテーブルの上に行儀良く座って、私をじっと見ながら鳴いた。
「シ・ア・ワ・セ・ヲ・タ・イ・セ・ツ・ニ」