Shizuko's Ceramic Class

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管理人の戯れ言

64.お似合い

私の好物の一つに稲荷鮨がある。といってもにぎり鮨の方が好みであるし、嫌いなものは殆んどないのであるが。

油揚げは缶詰めやパックのものを使っていると思うのだが、それぞれに中身が違って味わいがある。混ぜご飯や酢飯などで、作った人の個性ある稲荷鮨になる。

私もお稲荷さんの手伝いをさせられる時がある。油揚げの中にご飯を詰める作業であるが、これは中々難しいのである。

まんべんなくご飯を詰めようとすると、油揚げの皮は直ぐに破れてしまう。ご飯が少ないと貧相であるし、入れすぎると油揚げの皮が薄くなり、ご飯が透けて見えて食べ過ぎた後のお腹のようになってしまう。いろいろな方の稲荷鮨を食べる機会があるが、味ばかりでなく上手に作るのである。

ところで、富士山には月見草が似合うと云われるが、私は稲荷鮨には讃岐うどんが似合うと思う。讃岐うどんに稲荷鮨が似合うのかもしれないのだが。

この讃岐うどんと稲荷鮨との出会いはもうだいぶ昔のことである。私の上司が関西出身で昼食をよく誘われた。その中に六本木の讃岐うどんの店があった。

裏通りにあるうどん屋の讃岐うどんと稲荷鮨二個のランチに私は虜になってしまった。確か沢庵もニ三切れ付いてきたと思うのだが、どんぶりとその横に並んだお稲荷さんの風景に心を奪われてしまったのである。

私は味の濃いものが好んだが、この薄味の讃岐うどんはもともと好きだった。しかし、お稲荷さんの出現で一層味わいのあるものになってきたのである。

稲荷鮨はにぎり鮨に較べるとマイナーなイメージであったが、私の中で突然のように脚光を浴びはじめた。それは富士山と月見草がそれぞれに美しいように、稲荷鮨も光を放ってきたのである。

さっぱりとした讃岐うどんと油あげの稲荷鮨は富士山と月見草以上のお似合いなのである。

ある日、私と”先生”はサン・フランシスコの日本食レストランで夕食を食べた。”先生”は刺身定食、私は『にぎり鮨』を注文した。

暫くして、ウエイトレスが差し出した『にぎり鮨』に驚いた。私は自分が間違っていたことに気づいた。私は『鮨スペシャル』を注文したのだった。

新鮮なにぎり鮨が鮨板に並べられていた。ひとつを除いては。お稲荷さんがひとつ寂しく左角に置かれてあったのである。

私の乏しい鮨の経験では鉄火などの海苔巻きがついてくることは当然のことと認識していたのだが、これには動転した。新鮮なにぎり鮨を中心にしたかったのだろうが、カリフォルニア巻や鉄火巻きの代わりはお稲荷さんだった。

にぎり鮨の中にお稲荷さんがひとついた。お稲荷さんの『肩』に張りがない。油揚げの角にしっかりとご飯が入っていないのである。自分が作ったお稲荷さんと同じだった。

私はこんなに似合わない組み合わせかあるかと”先生”に愚痴をこぼしながらにぎり鮨を食べていた。半ばで好物であるにもかかわらず、お稲荷さんを邪魔者であるかのようにして食べた。喉に流し込んだといった方が正しいだろう。

レストランを出たとき”先生”が私のお腹をじっと見て、間を空けて言った。

「豚にこのレストランはね・・・」

「豚には鮨は似合わないかもね・・・」

「こんどは食べ放題のレストランにしましょうね。豚ちゃん」

10月28日2002年


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