Shizuko's Ceramic Class

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管理人の戯れ言

66.死ぬかと思った#6(映画:リング)

ハロウィーンの日、映画「リング」を見た。
鈴木光司原作のアメリカ版である。
この日は娘が友達の家に泊まることになっていて、家には私たちだけだった。
私は怖い映画が大好きな”先生”と見にいったのである。
私はこの映画の日本語版を見ていた。
だが、最後までは見ていない。
何故、最後まで見なかったかについては語りたくない。
そして、何故最後まで見なかった映画のアメリカ版を見たいと言ったのかは私自身分からなかった。
もし理由が必要ならば、私に『遠慮』して見に行きたいと言わない”先生”のためか、或いはその日がハロウィーンだったからだろう。

この映画はあるビデオ・テープを見ると、電話が入り一週間後に死ぬという内容である。
愛されることなく古井戸に突き落とされて殺された少女の慟哭と怨念のドラマである。

ここ数年、私は映画を観るときは必ず前から5,6列目の席に座ることにしているが、出口に近い後ろから2列目の席で見た。何故、1列目の席に座らなかったのかって。それは空いていなかったからである。
何故、この映画だけ後ろで見たのかは話したくない。

このビデオ・テープを映画の中で見た。母親、梯子、家、古井戸、白装束の女の子等が短いカットで写っていて、重々しい雰囲気と恐怖心をかりたてる。
このビデオを見たものには電話が入り、死は必ずやってくる。7日目には深い古井戸から白装束の女の子が這い上がってくるのである。古井戸の水に濡れた女の子は荒涼とした風景の中をそのまま歩かず這ったままこちらに向かってくる。
女の子がテレビの画面いっぱいに写ったかと思うと、女の子は画面から飛び出してくるのである。 ビデオ・テープを見た人はこうして悲惨な死を遂げるのである。

私はこのシーンを思い出すだけで背筋が寒くなってしまう。 この映画を見ている間、3度ほど”先生”の視線を感じた。 恐ろしい場面の時である。私を見て楽しんでいるようでもあった。

私は最後まで見たという満足感があった。
家路につくと、界隈は誰一人として歩いているものはいなかった。 『トリック オア トリート』のハロウィーンは終わっていた。 もう10時過ぎだった。 家の界隈は『リング』のビデオのように荒涼としていた。

私たちは誰もいない家に入った。
「ちりりりりーん」
するとこんな夜更けに電話がなったのである。
私の脳裏にあの青白い女の子の顔が蘇った。
私は”先生”に言った。
「電話はとってはいけない」
そして留守番電話のメッセージが聞こえない部屋に入った。

ところで、どうしても留守番電話の内容を知りたい方はここをクリックして下さい。
勿論、当方では一切責任は負いません。

11月16日2002年


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