Shizuko's Ceramic Class

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68.死ぬかと思った#7 (視力減退)

視力の衰えに驚いている今日この頃である。
ネット上の文字、パッケージの表示、説明書などどれもこれも小さく見える。
日本語に較べると英語の表示はもっと小さい。

だが大抵の人がその大きさで読めるわけだから、文句も言いがたいところがある。
ひとえに私の視力に問題があるのだから。

私は眼鏡が嫌いだ。
サングラスは気に留めないが、普通の眼鏡はかけたくない。
大学生の時、車の免許を取るときにはじめてかけた。
目のテストに合格しなかったからである。急遽買ってきた眼鏡で免許をとったというわけである。
しかし、それ以後眼鏡をかけたことはない。
日本ではペーパードライバーだったこともあって眼鏡は必要なかった。

ところで、私はアメリカに来てから目が良くなったような気がしたのを今でも覚えている。
広いアメリカで視界が広がったことや、本を読まなくなったことが、私の視力を良くした原因だったように思われる。仮性近視だったのである。

最近、視力が落ちたのはコンピューターが大きな原因だと思うのだが、”先生”は「『年』よ」と一蹴する。
これが大きな問題なのである。
説明書などを読みにくそうに見ていると、”先生”は私を『おじいちゃん』と呼ぶようになったからだ。これはなんとも『けしからん』ことである。
孫がいるわけでもない、この『万年青年』に向かってなんたることだ。とても容認することは出来ないことである。
近づけると焦点が合わないので、目から離して何とか読もうとしていると
「老眼鏡を買ってあげましょうか?」
「クリスマスは老眼鏡にしましょうね」
「年なのね・・・おじいちゃん」
などと言いたい放題なのである。

ある日の夜、わたしが居間で寛いでいると、”先生”がトイレから戻ってきた。
暫くすると、ソファでうたた寝をしはじめた。いつものことで気にも留めなかったが、私はお茶のために立ち上がった瞬間、”先生”の下腹部に花びらのようなものが付いていることに気づいた。
私はそれを取ってあげようと手を差し伸べたが、自分が思うより僅かに手が深く入って、柔らかな肌を布一枚を隔てて感じられた。
私は一瞬ではあるが恐怖のどん底に落とされたような戦慄を覚えた。

その時である、目を覚ました”先生”が
「何をするのよ!厭らしいわね」
と言って私の手を思い切り強く叩いたのである。
傍にいた娘もビックリしていたが、私は手が深く入った恐怖、”先生”の甲高い声と手の痛さに私は死ぬかと思った。
「ゴミか何かと思って、取ってあげようと思っただけなのに・・・」
私が言い訳を言っていると、”先生”はズボンのジッパーを上げながら、憤懣やるかたなしの態だった。
「スケベじじい!」

12月11日2002年


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