Shizuko's Ceramic Class

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管理人の戯れ言

69.熊本牡蠣

今月はポイント・レイスのホリデイ・クラフト・ショーに参加した。
3日間の長丁場だったが、一つだけ良い事があった。
それは牡蠣を食べられたことである。

その日の夕食は『クマモト』牡蠣をオードブルに、シャドネーで良い気分にさせてもらった。
”先生”は牡蠣が大好物ではないので、二、三個食べただけだった。
食べ終わった頃、”先生”が呆れ顔で言った。
「今日は仕事で行ったの?それとも牡蠣を買いに行ったの?」
私がほとんど食べてしまったので、無言で夕食を食べ続けた。
こんなに美味しいものを食べられて幸せな私は、 どんな苦言にも耐えられた。

ショー二日目の土曜日に、Yさんが娘さんとこのショーに来てくれた。
その時、Yさんがポイント・レイスの牡蠣を買って行きたいので、場所を教えて欲しいということになった。
そこで、私は近くにいた地元のベンダーに聞いてあげたのである。
するとそのベンダーの人は『クマモト』が美味しいので、是非行ってみたらと言うことになった。
普通の牡蠣の店は5分ぐらいのところにあるが、『クマモト』がある店は20分ぐらいかかるという一言でYさんは悩んでいた。
その悩んでいる最中、私の胸はどうしても抑えることは出来ないぐらい弾んでいた。
私は牡蠣が大好きだった。 私は『クマモト』などという牡蠣は食べたことがなかった。
誰でも知っているこの牡蠣を食べたことがなかったのである。
私には違和感があった。

何故『ヒロシマ』ではないのだろうか?
何故『マツシマ』ではないのだろうか?
何故『イセ』ではないのだろうか?

日本で熊本原産の牡蠣を食べたこともなければ、牡蠣の養殖場としても聞いたことがなかった。

Yさんと娘さんが会場から去ると、私は”先生”とベンダーの彼女の間を行ったり来たりしていた。
その牡蠣の店は5時頃閉店すると聞いた私は『ハムレット症候群』に陥った。
このクラフト・ショーも5時までだったのである。
私は迷った。
すると”先生”が
「4時頃行けば・・・」
と優しく言ってくれた。
だが10分もしないうちに私は車の中にいた。
その牡蠣の店に向かっていたのである。

ポイント・レイスからマーシャルに入ったところに『クマモト』がある牡蠣の店があった。
私は一目散に『クマモト』を試食した。
小粒で美味い。
甘い。
感触が良い。

私はオーナーらしき男に聞いてみた。
「『クマモト』は何処から来たのか?」
「昔、日本のキュウシュウから渡ってきたのさ」
私はその男に言った。
「私は日本人だが熊本の牡蠣は食べたことがないし、日本では広島の牡蠣が一番有名なのだが・・・」
その一言にその男は広島の牡蠣に興味を示した。

「日本食レストランでは食べられるのか?」
「大きさは?」
「味は?」
そして
「ここにある牡蠣と似ているものはあるか?」

私は”先生”から『一ダースでいい』と言われてきたが、余りにも小さい牡蠣なので二ダース買って、その店を後にした。
家に帰って中をあけてみると3個のアイスパックと一緒に3ダース近い『クマモト』が入っていた。
帰宅するのが3時間後と言ったからだが、私は中々サービスがいいなと感心した。

ところで、この『クマモト』牡蠣には意外な歴史があった。
戦後間もない頃、アメリカでは牡蠣が不足していたそうである。
そこで、アメリカ政府は当時、占領下の日本から輸入することにした。
原爆投下後の広島牡蠣を輸入は出来ないので、熊本牡蠣に白羽の矢が当たったわけである。
何故、その後熊本牡蠣の存在がなくなってしまったのか、私には分からない。
もし、どなたか熊本牡蠣の消滅の経緯をご存知の方がおりましたら教えてください。

翌日のショーでは、”先生”の『病気』が始まった。
他のベンダーの商品を買いたいと大騒ぎだったのである。
今までこのようなショーに参加することはなかったのだが、最近、参加したショーではいつも大変である。
金額の低いものなのだが中々決まらない。
私にも見てくるようにと言ってくる。
そのベンダーを行ったりきたりである。

その夜、買ってきた木彫りのジュエリーケースを見ながら一言”先生”に言いたくなった。
『今日は仕事に行ったの?それとも木彫りのジュエリーケースを買いに行ったの?』と。
だが、その言葉はわたしの口からはでなかった。
そのかわり
「良い買い物したね」

私は嬉しそうに木彫りを眺めている”先生”を見て、つい嘘をついてしまった。

12月23日2002年


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