Shizuko's Ceramic Class

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管理人の戯れ言

72.猫と私と忍耐

   我が家には一匹の猫がいる。三年前に九才の娘の為にクリスマス・プレゼントとして、買ったものである。まだ二ヶ月の子猫だったその猫に、娘はミスティと名付けた。

 私にとっても久しぶりの猫との共同生活が始まった。猫は本当に不思議な動物である。猫は一日の大半の時を寝て過ごす。

 ミスティは買ってきたおもちゃよりも、ただのダンボール箱の中に入ったりして遊ぶのが楽しいようだ。わたしの部屋に来ては足にまとわりつく。可愛がって欲しいのかと思って抱こうとすると逃げてしまう。再び戻ってきてはデスクの上を歩きまわる。コンピューターのキーボードの上を行ったり来たりした後に硬いデスクの上に座り込んでしまうのである。不憫に思ったわたしは自分が使っているクッションを敷いてやるとミスティはまた逃げてしまうのです。暫くするとまた戻ってきて、今度は書棚の上に駆け上っては寝込んでしまうのである。

 ある日のこと、夕食を済ませ自分の部屋に入るとミスティが後から入ってきた。ファックスのあらゆるボタンを押し始めた。留守番電話のボタンも押す。プリンター、デスクトップのモニターやキーボードの上を渡り歩く。わたしが使っているラップトップのキーボードの上を行ったり来たりする。ミスティが打ったアルファベットがスクリーンにタイプされる。ここまでは日常のパターンだった。しかし、今回は文字を消すことも入力することも出来なくなってしまったのである。わたしはモニターとキーボードの間に座り込んでいるミスティを、怒ることもせず撫で始めた。ミスティは甘えていると思ったからだった。はじめは首や背を撫でていたのだが、ミスティはわたしの指を噛み始めた。いつものように遠慮がちに噛んでいた。ところがその鋭い歯がわたしの右手のひらに食い込んだまま動かなくなった。わたしが左手でラップトップのキーを修正している時だった。次の瞬間ミスティの歯が深く入り込んできた。ミスティもわたしも微動だにしなかった。時が止まった瞬間だった。ミスティの顎がゆっくり開き、わたしの手のひらに大きな穴が出来た。痛みが走り、見る見るうちに深紅の血が流れ出てきたのである。

 わたしは自分の冷静さに驚いていた。流れ出る血を凝視しながら自分の愚かさと寛容に驚いていたのである。『動物が相手だからだろうか?どうしてこのように寛容になれるのだろうか?』と自問した。 わたしが抱こうとすると必ず逃げてしまうミスティ。悪戯好きのミスティ。猜疑心と唯我独尊がぴったりのミスティ。こんな可愛げのない猫をわたしは罵声一つ浴びせたことはない。
「ミスティ」
と低い声で言うだけだった。

 その後、ミスティは以前にもまして体中にまとわりついてくるようになった。執拗に頭を手や足に摺り寄せてくる。わたしは喉や首など撫でてやるが、手や指をあまり噛まなくなった。自分のしたことを悔いているのだろうか。自分のシッポを追いかけている姿を見ると、猫は決して頭が良い動物とは思えないのだが。

 ミスティは今もわたしの傍にいる。プリンターの上に寝ている。正確にはノートの上に寝ていると言ったほうが良いだろう。わたしはミスティの好みの場所を、平面にする為にノートや雑誌を置いていたのである。お尻がプリンターから落ちそうだが、眠り続けている。何度も寝返りをうつが、その場所から動かない。散々長い間、デスクの上を渡り歩き、わたしの邪魔をしていたミスティなのだが、寝ていてもなんとも落ち着かないのである。もっといい場所で寝ればいいのにと思ってしまうのだった。

 娘が夜の十一時頃、ミスティを探しに来た。娘は寝るときに自分の部屋に連れて行くのである。
「またここにいるのか」
 と不満そうに呟きながら、寝ているミスティを連れて行った。時計を見たわたしは、立ち上がりながら娘の背中に向かって怒鳴った。
「もっと早く寝なさいよ」
 一歩踏み出した途端、痛みが足の親指に走った。デスクの脚にぶつけたのだった。親指の爪が剥がれたかと思った。
「痛い!」
 わたしは近所に聞こえるほどの大きさで叫んだ。とても我慢は出来なかった。
「痛ーい!」

2月2日2003年


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