Shizuko's Ceramic Class

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管理人の戯れ言

75.コンサート

   娘のピアノ・コンサートがあった。娘だけでなく他の生徒の演奏を聴くのも楽しみのひとつである。勿論、初心者や失敗をする子がいるので、その緊張がこちらに伝わり辛い思いをすることもあるのだが・・・特にここ2年連続して最後の演奏者には冷や汗をかいた。

   私は娘の学校の行事でコンサートを聴く機会が毎年数回ある。昨年末、中学のオーケストラでベートーベンの『交響曲第五』を聴かされた。 一昨年は、合同のコンサートで高校生の『交響曲第五』を聴いた。この演奏は共に辛かった。これはオーケストラの先生が生徒にベートーベンの素晴らしさを分かってもらおうということだろう。だから誰が悪いわけではない。彼らに完璧さを求めているわけでもない。私は彼らにはこの曲はまだ早すぎるのではないかと思ってしまうだけである。
 2月、マリン・シンフォニーでようやく『交響曲第五』を安心して聴けた。やはり中学生や高校生の子供にはまだ早いことを実感した。

   今回の娘のコンサートに戻るが、ピアノのみならず声楽もあり、中々面白かった。特に私の娘は素晴らしかった。(笑)メリハリの少ない曲(Sonatina in G-2nd movement"Romanze"とArietta)で難しかったが無難に演奏した。
 だが最後の高校生ぐらいの女の子が弾いた「War Song」では娘の演奏以上に緊張した。
 彼女は少し緊張気味だった。短い髪なのだが髪を束ねるかのような仕草を繰り返す。ピアノの前に座り両手を大きく広げ鍵盤を叩いた。正に叩いたのである。彼女には次が分からない。金縛りになっていた。彼女は四列目ぐらいに座っている母親から楽譜を受け取る。楽譜を広げる。ようやく自分の曲を見つける。再び短い髪を両手で束ねる。母親の顔を見る。緊張で笑顔が歪んでいる。大演奏家のように両手を広げ演奏を始める。やはり次のところに入れない。もう一度短い髪を束ねる仕草をする。母親を見る。両手を上に上げて緊張を和らげようとする。
 私にも緊張が伝わってきて、身動きが出来なくなった。会場は固唾を呑んだ。出だしの音で『第五』を思い出すほど、インパクトのある曲である。彼女は楽譜を見て次の指の動きを確認した。そして途中、間違いながらも最後まで演奏した。短い曲だったが長く感じさせた。

 私が
「難しい曲を選んだね」
 というと、
「一生懸命頑張ったじゃない。しょうがないね。」
 ”先生”が言った。
「毎年、コンサートの最後の曲は上手くいかないな・・・」
 と言いながら、私はしょうがないというより、来年は娘がトリを務める『運命』だと思った。

3月25日2003年


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