Shizuko's Ceramic Class

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管理人の戯れ言

76.死ぬかと思った#8(悪魔の峡谷)

   愈々春めいた季節となり、私たちは週一回ぐらいハイキングに行くようになっていた。ある日、滝で有名な『悪魔の峡谷』というトレイルに行くことになった。”先生”の案であることは言うまでもない。前日は雨だったので滝を見るには絶好と思ったからだった。
 サンドイッチと飲み物をバックパックに入れ、40分ほどで目的地であるSamuel P.Talor State Parkの『悪魔の峡谷』(Devil's Gulch)に着いた。朝10時前に着いたが、すでに駐車場には車が一台斜めに駐車してあった。

 私たちは川沿いにあるこのトレイルを歩き始めた。暫くすると、サーモンの絵が描かれた表札があった。シーズンにはサーモンが産卵の為、上がってくるそうである。
 その表札から数歩歩いたところで、ひとりの細面の背の高い白人とすれ違った。光線の関係か顔色は黄色く、茶色のズボンにオレンジ色のシャツを着ていた。私は彼が出口に近いので多少驚いた。人里離れた場所に、この男は早い時間に来ていたことになる。
 すれ違いざまに彼は私たちに言った。
「Enjoy it!」
 10分ほど歩くと、トレイルに陥没が出来ていた。私たちは回り道があると思って探したが見つからなかった。私は”先生”を背負いそこを何とか渡ると、トレイルを塞ぐように大木が横たわっていた。 私は何故先ほど会った男はこのことを言わなかったのだろうかと自問したが知るよしもなかった。
 ”先生”は『もっと前に別のトレイルに入るはず』と言い始めたがそのような看板はひとつもなかった。私は滝はこの川の上流にあるはずだと単純に思った。私たちはおかしいと思いながらも奥へ奥へと森の中を歩いて行った。
 奥へ入ると木漏れ日も消え、あたり一面は薄暗い森と変貌した。鳥のさえずりさえ聞こえない。聞こえるのは小川を流れる水のせせらぎと私たちの落ち葉を踏みしめる音だけだった。暗緑色に包まれた『悪魔の木』と呼ばれる木々がトレイルに迫り、冷たい空気が一帯を支配していた。
 すると先を歩いていた”先生”が突然叫んだ。
「うわー」
 私は驚いて近づいてみると”先生”の足元には茶色の太ったトカゲがゆっくりと歩いていた。雨上がりの黒ずんだトレイルには枯れ木や落ち葉が落ちていたので同系色のトカゲは分かりづらかった。
「そのトカゲ、仰向けにしてくれる?」
 ”先生”が言うので、尻尾を捕まえて裏返すと、茶色いトカゲのお腹の色は先ほどすれ違った男が着ていたシャツと同じ鮮やかなオレンジ色だった。
 それからは足元を見ながら前進した。すると何匹もの同じ太った茶色いトカゲが行く手を挟んだ。私たちは注意深く歩いた。
 また、”先生”が叫んだ。
「気持悪い!」
 今度は10cmほどの巨大な黄色いナメクジだった。バナナ・スラッグという名のナメクジだった。薄暗い森の中でも茶色いトカゲと違って黄色いナメクジは黒い地肌や枯れ葉とは対照的に鮮やかに見えた。私たちの足元には沢山のトカゲとナメクジがひしめきあっていた。一匹だったら大して気にも留めないのだが、これだけ多いと気味が悪い。私たちは何とかこのあたりを通過出来たが、滝は見つけることは出来なかった。森を抜けてやっと明るい丘に出た。その先日差しが入る森の中を暫く歩いたが、私たちは滝を諦めて戻ることにした。だが気が重いのはあの悪夢のような森の中を再び抜けなければならないことだった。その静まり返った森に入ると、私は小走りに雨上がりで水溜りやぬかるみになった小道を先に歩きながら呟いた。

「ぐちゃぐちゃだね」
 すると後ろを歩いている”先生”が子供のような黄色い声で叫んだ。
「ちょっとマッディー(Muddy)」
 私は薄気味悪いトカゲやナメクジの存在を忘れるほど、背中に冷たい氷を入れられたように背筋に戦慄を覚えた。

4月4日2003年


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