今年の母の日はマリン・オープン・スタジオとかさなった。
数日前まで雨の日が続いていたが、土日は五月晴れの良い天気になり、そのせいか例年より人も多く来てくれた。
今年も皆で外食の予定だったので、オープン・スタジオが終わると急いで夕食場所であるサン・フランシスコに向かった。当初、日本食を食べたいという”先生”の意向で地元のレストランを決めていたのだが、日本語放送のTVコマーシャルを見た”先生”はサン・フランシスコのHホテルの中にあるKTレストランの懐石料理を食べたいと言い出したのである。私は直ぐに四人分の予約をとった。実は私自身も久しぶりの懐石料理に期待が弾んでいた。
私たちは予約の二十分ぐらい前に着くと、五テーブルぐらい入る部屋に通された。どのテーブルも母親同伴のお客である。年は取っているが、不慣れと分かるウエートレスがお品書きを持ってきた。
それから三分もしないうちに
懐石料理の三品が同時にやってきた。
それもひとつ飛ばして。
私は狼狽した。
憤慨した。
席を立った。
私はこのウエートレスに何を言っても無駄と思い、ベテラン風のウエートレスを見つけ注意した。
「お茶も出さないうちから、懐石料理を三品まとめて持ってくるとはどういうことか。それも順序を間違えて・・・」
と。
そのウエートレスは丁寧な言葉で謝った。私が席に戻ると子供ふたりが冷たい眼で私を見た。
「お父さん、礼儀知らずね。どうして、そんなことで怒るの?」
とふたりは同時に英語で言った。
私は礼儀も無礼なのもこのウエートレスだと言いたかったが重い気持ちが無言にさせた。
お茶が運ばれてくると直ぐ後に、また次の三品がまとめてきた。私はあきれ返ってしまった。私はこのときウエートレスの責任ではないことが分かった。店の方針であることに気付いたのである。他のウエートレスも同じように同時に三品を運んでいた。他のテーブルのお客はなんの不満もなく食べていたのが不思議だった。
私がお品書きにもう一度眼を通して見ると食いきり料理と書いてあった。TVコマーシャルでは母の日に懐石料理と言っていたのだが・・・
私は多分これは懐石料理でも食いきり料理でもなく、早食い料理の間違いではないだろうかと思い始めた。料理はどれもこれもまずく何一つ心に残るものはなかったが、しいて言えばデザートのイチゴはフレッシュで美味しかった。
以前、Sホテルの中にあるKレストランの懐石料理でも悲惨な思い出があった。真っ赤な口紅をつけたがさつなウエートレスに、お造りがまぐろの刺身だけだったので問いただした時だった。
「良かったですね、まぐろがいっぱい食べられて」
私がお品書きにはお造り(Assorted Raw Fish)と英語でも書いてありますがというと
「すみません、今日は・・・」
と笑いながら曖昧な答えで去っていった。
だが、そのレストランでさえ三品を同時に運んでくることはなかったし、出す順番を間違えることはなかった。
ところで、デザートがでるのがすごく遅かったことを付記しておかなければならないだろう。これはいままで、あまりにも早く出しすぎたことの反省だろうか?私はこの早いサービスは後のお客様の予約が入っているのが原因と考えていたが、そんな雰囲気もなかった。
会計の時、ウエートレスが私に詫びた。
「申し訳ありませんでしたね。これに懲りずにまたお越し下さい」
私は聞かぬ振りをしたが、すべては店の方針でしたことなので、このウエートレスに不快感はなくなっていた。
私は帰りの車の中でひとつ悔やんだことがあると”先生”に言った。
それはチップを上げたことである。それも中途半端なチップを上げてしまったのである。きりが良いということで12%か13%という歯切れの悪いチップになんとも悔いが残ったのである。子供たちがいた手前、「チップなし」という暴挙に走れなかった自分の弱さをあらためて悔やんだ。
「いいじゃないの、美味しかったですよ」
という”先生”の言葉を聞きながら、もうひとつの悔いは言わなかった。
私が一番慙愧の念に耐えられなかったのは、「母の日」の夕食を私が余計なことを言って台無しにした事だった。
店の方針どおり、なされるままにしていても、子供たちは早いサービスで喜ぶだろうし、”先生”はいつものように「しょうがないですね」ぐらいしか言わなかっただろう。
「チップをあげないこと、お父さんにできるの?」
下の娘が言った。
「できるさ」
すると”先生”が
「まあまあ、とても美味しかったですよ」
私は本当の悔恨を胸にしまい、闇に包まれたゴールデン・ゲート・ブリッジを無言で駆け抜けた。