近頃、やたら「傲慢」という言葉が”先生”と私の間で行き交っている。テトリスで勝てない”先生”を揶揄すると、私に「傲慢な奴だ」と言い、”先生”が「これして、あれして」と言うと、私も「傲慢な奴だ」と言うのである。
いつ頃から「傲慢」という言葉が我が家に浸透したのか定かではないが、昨年のポイント・レースのアート・ショーからではないかと思っている。
昼食の時である。私が先に食べることにした。このアート・ショーの為に出店が出ていたので、そこから買って食べた。食べ終わると私は何気なく口を拭いたナプキンを無造作に”先生”の作った小鉢に入れてしまった。その小鉢は同じものが数個あったのでディスプレイから外していたものだった。私はゴミ箱が近くになかったので、目の前にあったその小鉢に「暫定的」に入れたのである。それを見た”先生”は怒り狂ったのである。
「なんのつもりなの?」
「これはゴミ箱じゃないのよ」
「本当に失礼ね」
そのときに”先生”が「傲慢」と言ったか分からないが、数々の罵詈雑言を浴びせられたのは今でも覚えている。私は弁解の余地もなく無言で聞いているしかなかった。ゴミを小鉢から取って捨ててきたのは言うまでもないことである。私は気まずい雰囲気を避けるため会場を出た。
会場の裏庭からは異様な光景が見えた。アルフレッド・ヒッチコックの「鳥」を彷彿される眺めだった。電信柱や納屋の屋根には異常なほど鳥が止まっていたのである。あの映画は確かこの近くで撮影されたはずだった。私は電信柱が垂れ下がるほど群がる鳥を見ながら再び会場に戻った。”先生”も昼食を取りたいはずだったからである。
”先生”が食事中に接客していると、”先生”の手が私の太腿に触れたような気がした。私はそのことに気も留めず接客を続けていた。そして、そのことをすっかり忘れていた。
”先生”の昼食も終わり、息抜きに再び裏庭に出ると、眼前に立ち塞ぐように前よりも多くの鳥が群れをなしていた。私は何気なくポケットに手を入れると、汚れたナプキンが出てきた。私は「やられた」と思った。
会場に戻ると”先生”は満面の笑みを浮かべて私を待っていた。
「傲慢な奴だ」
「俺のポケットはゴミ箱じゃない」
と私も大袈裟に言った。だが、”先生”は大声で笑い始め、その笑い声は鳴り止むことはなかった。
笑い声を聞きながら、私の脳裏には再び映画「鳥」が甦った。ヒッチコックは映画の中で鳥の襲撃について何も語ろうとはしなかったが、あの鳥の恐怖は「人間の傲慢さ」に対する警告だったのかもしれないと思わざるをえなかったのである。
裏庭の方から”先生”の甲高い笑い声に誘われるように、鳥たちの薄気味悪い鳴き声が聞こえ始めた。