捨てようと思った雑誌の表紙に小説家の林真理子の姿があった。
数年前、雑誌の表紙を飾った彼女の妊娠中の写真である。
カメラマンは人物写真の大家篠山紀信。
実にシャープな映像で女史を”正面”からしっかりと撮っていた。
女史には失礼だが、とても美しい人ではないのだが、変な小細工を使わない
達人によって”美しい写真”に仕上がっていた。
私だったら彼女のために多分「紗」を入れ、ソフトなタッチにしたに
違いない。何とか美しく仕上げようと努力する私と、
その辺が本物の眼を持つ達人との差であろう。
私はこの林真理子と十年ぐらい前に、サン・フランシスコの
日本食レストランで遭遇したことがある。
フレンチ・レストランのあとに作られた「I」レストランのブースで
林真理子と付き人のような女性が一緒にランチを食べていた。
私と同席していた日本から来た知人が
「林真理子だよ、彼女は・・・」
と顔で合図しながら言うと、その声が聞こえたのか二人が同時に
こちらを見た。
目が合うと何気なくそらしたが、残念ながら私の動悸は何ら変化する
こともなかった。
テレビのバラエティー番組や週刊誌の記事を通して毒舌家
という認識があったので、その頃の私は「女のくせに」という
偏見があったに違いない。だから、私は彼女を気にもとめなかったのだろう。
私は一冊のエッセイ集を読んでみた。初期の頃のものから、最近のものまで
まとめてあるものだった。
男女を問わず、有名人タレントに毒舌を吐いている。この毒舌で女史は
人気があったことだろう。毒々しい文章から、次第に変化してきているのが
わかった。近年の文章は洗練されて美しい文章になっているのである。
それはまるで、十年ほど前に出会ったときの女史から、今見ている女史の
雑誌の表紙のようでもある。
私が見たあの頃の女史は、タレントへの毒舌ばかりでなく、日々反抗の
毎日だったことだろう。
それに引き換え現在は、結婚、出産、育児という女の道を歩み、
美しい文章のみならず、素晴らしい小説を書いていることでしょう。
いつの日か女史の小説を読みたいものである。