Shizuko's Ceramic Class

[Home] [Menu]

管理人の戯れ言

89.再会・前

   先月の末からゴールデン・ウィークを利用して”先生”の友人(ワンダーフォーゲル部の一年先輩) が旦那様と一緒に北海道から遊びに来てくれた。”先生”とは30年ぶりの再会だった。

 私は”先生”の命を受けて一人、エアポートにお二人を迎えに行った。数日前には友人からの 電話で、目印となるいでたちを聞いていたので一目瞭然だった。  黄色と黒、赤紫と黒のリュックサックを背負い、片方には赤いバンダナを付けていたのである。 もう一つの目印は旦那様が『イラク人』のような風貌で髭を顎と口に蓄えていることだった。 言われていない大きな目印もあった。それは彼女が茶髪だったことである。旦那様を『イラク人』と 呼んでいたそうであるが、彼女も外国の人かもしれない。
 ところで、想像できたかもしれないが、お二人は北海道の白老山岳部に所属している 登山家である。

   私は初対面ながらも、以前に何度も会っていたような錯覚を覚えた。それは彼女が白老同人雑誌の 会員でその雑誌を読ませて貰ったり、何度となく送られてきた葉書の書体が親近感となっていた のだろう。彼女の字は紫式部のような美しい書体なのである。よって古文に弱い私は葉書いっぱいに 書き込まれた彼女からの便りを残念ながら読むことはできない。

 晩婚のお二人は結婚7年目だそうである。『イラク人』は何十年もの間、彼女に恋焦がれていたそう である。彼女の病気がきっかけで急接近したそうであるが、頑なな彼女も弱り果てた肉体と精神に 暖かい息吹を投げかけた『イラク人』の愛情には負けたのだろう。

 お二人はヨーロッパには何度となく行っているそうであるが、アメリカは初めてだった。 土日はオープン・スタジオと重なってしまい、サンフランシスコを自分たちで散策してもらうことに した。そして、残りの予定をMuir Wood,Yosemite,Napa Wine Countryとした。我々の早い夏休み にもなった。いずれの地も何度か行ったところであるが予想よりも近かった。特にYosemiteが 10年ぶりということもあってか近くなったように感じた。

 Yosemite Fallの雪解けの水は怒涛のように流れ、Half Doomは深い森の中から仁王立ちしていた。  私がお二人はここでテントを張って、明日にはあのHalf Doomに登りたいでしょうね、というと 彼女から意外な返事が返ってきた。
「とんでもない!テントなんてもういやなんです、ベッドの中で寝たいです」
 それは”先生”と同じだった。5年ぐらい前はよくキャンプに行ったのだが、”先生”はよく言った ものである。一日ぐらいモーテルかホテルにしましょう、と。

「ホロホロ山の掃除ぐらいが一番いいわね」という茶髪の彼女は山登りよりも主婦業に専心して いるのが良く分かる。彼女の口からは山登りのことよりも料理のことがよく出てくる。パン作りや 魚の干物作りが得意そうである。自分で作った干物をお土産にして持ってきたかったが、税関 で没収されると思ったそうである。

 Yosemiteも近くなったと書いたが、帰りは道を間違えてしまい余分な時間がかかった。 一つサインを見落としたせいか車が南に向かい始めたのである。私は自宅が西の方向であることに 自信があったので、南に長く続いた道をUターンして言った。
「太陽に向かって走らないといけないのに、南に向かっていましたから道を間違えたようです」
 すると間髪を入れず真後ろの座席にいた茶髪の彼女が言った。
「それじゃ、ほえなくちゃね。太陽に向かってほえなくちゃ・・・」
 ミニバンが笑い声ではじけた。”先生”の高い声が車内を駆け巡った。 学校を休ませて同行していた娘だけが『太陽にほえろ!』のことなど 知るはずもなくキョトンとしていた。
 いつもなら西日に向かって走るドライブは嫌いなのだが、『明るい外国人夫婦』のお陰で睡魔 に襲われることもなく、思いがけなく現れた『裕次郎』の真っ赤な面影が山稜に消えて行くまで 楽しんだ。
「ワーォ・・・」

5月17日2004年


Copyrights (C) 2000-2004,Ceramicstyle