私は異常な夢から目が覚めた。
夢の中で、私は『蜂』と呼ばれていた。
私はどうして『蜂』なのか、どうして『蜂』と呼ばれるのか、皆目検討がつかなかった。
鏡を見ても私は『私』であったし、巨大な『蜂』に変身していることはなかった。
私は『蜂』であることをどうしても認めることが出来なかった。
それは太陽がキラキラと輝く暑い初夏だった。
『私』の『仲間』の蜂が餌のある場所を発見した。
蜂は『仲間』に餌のある場所を告げると、輪を作り踊り始めた。
『私』はその『喜びのダンス』に参加することも、同じ群れに入ることも出来ない。
『私』は『仲間』の蜂にうながされて、離れてはいたが群れに従い餌のある場所に着いた。
驚いたことにそこは『先生』の家だった。
私の家でもあるのだが、空から見る自分の家ははじめてだったので奇妙な気がした。
日本に帰国する生徒さんのための送別会が開かれていたのである。
やきとりを焼いている私がいた。
近づいてみても手で追い払うだけで『私』が私であることは分からないようだった。
家の中から『先生』がソーセージを持って出てきた。
いつも「そこの土、とってクレイ」などと馬鹿馬鹿しい駄洒落をいう『先生』が私に皿を手渡した。
『先生』は主賓である夫人と笑顔で一言を交わすと、また台所に消えた。
生徒さんである夫人の横にはアメリカ人の旦那さんと6才ぐらいの長女と小学生の長男
が並んで座っていた。
少年の席の後ろには生まれたばかりの赤ちゃんが手提げベットの中で、すやすやと寝ていた。
少年は食べることよりも赤ちゃんの様子ばかり気にしている。
もう一人の妹が出来たことの嬉しさよりも、自分がこの子を守るというような悲愴感さえ
伺える。
少年は何か不安げである。
生まれ育ったアメリカから日本への旅立ちの不安だろうか?
『私』は益々少年と赤ちゃんに興味を覚えてきたと同時に、まわりの匂いに負けたのかお腹
がすいてきた。
『私』には『蜂』の習性というものがよくわからなかったが『仲間』にそれを聞くことも、
自分が何者であるかを問い正すことなど出来なかった。
『私』はみなさんが持参したご馳走やバーベキューを食べた方がいいのか、それとも生血を
飲むべきか悩んだ。
『蜂』と呼ばれる私に残された道は一つしかないのではないか?
私は『私』が『私』であることを証明するには、自分が『蜂』であるのかを証明するほか
ないのではないかと悩んだ。
『私』は、ゆっくりと少年と赤ちゃんの方に旋回し立ち止まった。
憂いに包まれた少年とライラックの葉のような小さな手を持った赤ちゃんが無防備に寝ていた。
「To bee or not to bee」